ここはスパンコールの部屋

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「切ない、という言葉は日本語にしかないんだ」

 

目黒川沿いのバーで、カウンターの端に座る初老の男性が、そう話すのが聞こえた。

「だから切ないと感じたら、その気持ちを大切にしたほうがいい」

なんだそれ、猛烈に感動する。今宵の目黒川には賢者が降臨しているらしい。デートに惨敗してヒットポイントが赤字点滅の僕は、いままさに切なさでいっぱいいっぱいだ。

「お待たせしました」

バーテンダーのお兄さん(俵さんというそうだ)が、ポテトサラダを供してくれる。モンブランを思わせるフォルムに、燻製した味玉が添えられた逸品だった。マスタードの酸味が利いていて、とても美味しい。

 

「夕飯を食べそびれたんですか?」と俵さん。
「いえ、デートで緊張して食べた気がしなくて」

誰かと会話できるのが嬉しくて、つい饒舌になってしまう。

 

「バーテンダーって、モテそうですよね」

そう言うと、俵さんは苦笑した。
「第一印象はいいんですけど……。それに、いま燻製にハマっていて、なんでもいぶしてしまうんです。部屋がスモーキーで誰も呼べなくて」

はいどうぞ、とナッツのような小皿を出してくれる。
「これはいったい?」
「ジャイアントコーンの燻製です」
え、アイスの? アイスを天ぷらにする心理?
彼のうちなる闇が見えたかに思えたが、そういう名前の植物らしい。 

とはいえ俵さんには、隠せないモテオーラを感じる。スモーキーな部屋に行きたい、いぶりがっ子たちも大勢いることだろう。

 

「僕にもねぇ、かつて横暴な恋人がいたんですよ」

彼女は三度の飯より酒好きかつ、〆に極甘なカフェオレを飲むという嗜好の持ち主だった。ゼミのレポートを提出し終えて深夜に下宿に戻ると、こぼれたカフェオレの海、スパークしたノートPC、カフェオレまみれでこんこんと眠る彼女、という事態を目の当たりにして、涙したものだ。

 

「楽しかったこともたくさんあるはずなのに、どうして切ない記憶しか思い出せないんでしょうね」

スコッチウイスキーが、カラカラと透明な音を立てる。

 

「君がその気持ちを大切にしているからだ」

賢者の声が聞こえた気がしたが、そこにはもう誰もいなかった。 

 

 

くるくると舞う霜月の始発駅

 

 

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